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『価値づくり』の研究開発マネジメント 第262回

普通の組織をイノベーティブにする処方箋(109): KETICモデル-思考(51)
「本質とは何か(1)」

(2021年8月23日)

 

セミナー情報

 

これまで、KETICモデルの思考の中の知識や経験を「整理するフレームワーク」を第213回(2019年8月20日)から延々と2年もかけて議論してきました。そろそろ「整理するフレームワーク」を終わりにしたいと思いますが、最後に、これらの議論の中で欠けていた部分として「本質とは何か」について、議論したいと思います。

●本質とそれ以外の区分け

これまで議論してきた「整理するフレームワーク」の中で、欠けていてかつ重要なものが、本質とそれ以外の区分けがあります。ギリシャの哲学者のプラトンはイデアという言葉で、人間の目に見えているものは、イデアという物事の本質の投影にすぎず、物事の本質を捉えようとすることの重要性を訴えています。

プラトンのイデアという言葉を出すまでもなく、物事の本質を捉えることの重要性に異を唱える人はいないでしょう。

●「本質」の辞書的な意味

日常の会話の中でも、ちょっと理屈っぽい短気な上司などから、くどくどと説明をしていると「本質を言え」などと、言われてしまうことがあります。しかし「本質を言え」と言われても、そもそも本質の意味が実は明確ではないゆえ、言われた方は当惑してしまうことは多いのではないでしょうか。

それでは本質とは何でしょうか。インターネットで本質を調べると、「その物のもっている本来の、独自の性質。本性。」(精選版日本国語大辞典)などとあります。この説明から本質とは「枝葉末節のことではない」ぐらいのことはわかるのですが、それ以上の意味は、この説明では「本質の」を「本来の」に置き換えただけで、よくわかりません。しかし、本当に本質を理解するには、本質では「ないもの」が理解できるだけでなく、もっと直接的、すなわち本質的定義が必要です。

●なぜ「本質」の定義は難しいか?:「本質」は当事者の課題意識によりいかようにも変わるもの

インターネット上で「本質」について調べてみましたが、腹に落ちる説明を見つけることができませんでした。本質の定義は簡単ではないようです。なぜ本質の定義が難しいかをよくよく考えてみると、本質とは当事者の課題意識により、いかようにも変わるものであるからではないかということに思い至りました。

たとえば、「人間の本質は何か?」を考えた場合、人類の進化を研究している人にとっては「手足と胴体、頭部をもち直立歩行をする高い知能を持った動物である」や詐欺師に騙されたひどい経験をしている人にとっては「人間とは欲の塊である」や哲学者にとっては「考える葦である」など、いろいろなものが考えられるのではないかと思います。つまり本質と言うと唯一無二のものであると考えがちですが、実際はそうではなく、ものごとの本質とはそもそも、当事者の課題意識によりいかようにも変わるものと、考えることができます。

したがって、上のちょっと理屈っぽい短気な上司の「本質を言え」に対する説明は、その上司の課題意識に基づいた説明でなければならないということです。

そもそも上の例で言うと、「人間」という「単語」は様々なものを意味するものですし、またそもそもそこに存在する「物体」としての人間も様々な要素を持ち合わせているもので、更にその「解釈」も人間総体で捉えることから、分子レベルで捉えることまで、その視点は連続的でありえますので、ほぼ無限にあると言っても過言でありません。次回もこの議論を続けたいと思います。

(浪江一公)